第11回 高齢者の住まいの場とはどうあるべきか

北欧では必要な量のサービスを得られる

高齢になって一人での生活に支障をきたす状態になったとき。認知症が進行し、自宅での生活が継続できなくなったとき。癌の末期などで余命が数カ月と診断され緩和ケアが必要となったとき。こうしたときに、病院ではないが、医療やケアの専門教育を受けたケアスタッフが24時間かかわる特別な居住空間で、安心した生活を送ることができれば、高齢期に対する不安は少なからず解消されるだろう。

起床時間や着替え、食事の時間やメニュー、今日は何をするか、という内容を本人が決めることができたら生活に意欲が湧いてくるだろう。介護者も教育を受けたプロとして落ち着いて介護にあたり、けっしてバタバタと走りまわったりせずに要介護者を観察しながら、にこやかに隣に座って話をしてくれる。居宅内にはベッドルームとリビングダイニング、設備は洗面・トイレやキッチン・シャワールームがあり、プライベートな空間が確保される。

賃貸住宅なので、利用者は賃貸借契約にもとづき家賃や光熱費を支払い、住宅が用意した食事を食べれば食費を支払う。ほとんどが年金受給者なので、支払いが不足しても自治体から家賃補助が出るので支払いには困らない。所得や資産・貧富の差によって分け隔てなくその高齢者にとって必要なサービスを必要な量だけ受けることができる。

このようなサービスの付いた住居が自治体の責任のもとに、65歳以上人口に対してスウェーデンは8%、デンマークは11%が供給されている。

 

将来の安心の支えとなる住宅の供給が必要

北欧視察の途中でこの原稿を書いているが、この地と比較して日本の高齢者の住まいや施設はどうだろうか。

北欧の高齢者サービスを参考に、わが国に介護保険制度ができて13年が経過しようとしているが、残念ながら高齢者の住まいの場としては同等とはいえない状況にある。資産家や高額所得者にとっては民間の有料老人ホームを買うことで、ハード面では北欧を上回るサービスを得ることができるが、介護保険の施設サービスで比較するとハード・ソフトのサービスの品質と量は明らかに劣る。

4人部屋などの多床室が多数を占める介護保険3施設では劣悪な居住空間となっているところが多く、個室でも専有面積は13㎡あれば広いほうで、その多くは設備が付かず、プライバシーの確保が困難な居室となっている。そもそも住居という発想がなく、措置の時代の名残りとも思われる居室さえ存在する。「施設」から、設備を備えた「住宅」への転換が必要だ。

高度な認知症ケアを提供できる介護職員の養成は遅れ、認知症の高齢者は今や200万人を超えており、認知症の方々が安心して幕らせる居住空間は不足している。また、がん末期で退院を迫られる患者にとって、自宅療養は現在の在宅医療の体制では難しく、看取りを行える場の確保をいかに進めるかが社会的な課題となっている。

利用者本人の決定を尊重する北欧のケアの仕方は、民主主義が根づいている証明でもある。利用者の主張を“わがまま”ととらえる日本の風潮を見直し、利用者が何をしたいのかという「寄り添うケア」に転換していくべきだ。

日本では要介護者向けの介護施設や居住系サービスが、高齢者人口の4.7%分供給されている。必要とする人に行きわたらせるには要介護3の人口割合からみても、少なくとも高齢者人口の6%分の施設・居住系サービスが必要と筆者は判断しているが、この不足状況が「将来、介護をどこで受けることができるのか」という不安を駆り立てる要因となっている。国民は将来の暮らしの安心がほしいのだ。

サービス付き高齢者向け住宅は登録開始から1年で8万戸を超えた。介護サービスが外づけのまま高齢者の住まいの場として機能していくとは思えないので、これ以上の供給を推進することの是非を判断すべきときが来ている。重度要介護者へのケアや認知症ケアが提供されない高齢者住宅は、劣悪な高齢者の収容の場と化す危険性さえはらんでいる。北欧の高齢者サービスシステムを進化させた日本版のものを、介護保険制度のように取り入れられないものだろうか。自立した生活の場と上質な介護サービスを提供することにより、介護コストの削減が可能となる。

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